高知城を築く際の話が出ていて興味深い。
関ヶ原の合戦後、土佐24万石に入国した山内一豊は早速、
上方風の城郭を築こうと考えた。

場所は大高坂山と呼ばれていた。
長曾我部元親もここに城を築こうと思ったが
排水の悪い土地だったため、あきらめた経緯がある。
河内という名のその土地を、
「河内という名では水難がありそうで縁起が悪い。
高知とすればどうだ」
(中略)
「高ク知ル、知るは統治するという意味もあり、
つまりよく統治がゆきとどくという
縁起よき文字にもなりまするな」
功名が辻〈4〉 (文春文庫)
ということで高知の名がここに誕生した。


さらに、高知城は長曾我部の残党を防ぐと同時に、
町づくりにも工夫したことが書かれている。
現存している名城の、誕生する過程での山内一豊の思いがありありと伺える小説である。


