もう一人忘れてはならない人物がいる。
いや、忘れるわけはなく、
別な意味でのスポットを当てなくてはいけない。
黒田官兵衛である。

あまりにも有名すぎて、いまさら
くどくどと紹介してもしょうがないので省略するが、
彼は歴史上のイベントで必ず名言を残した。
その名言が様々な人達によって色々と変化したであろう。
そんな中、自分が印象に残っているエピソードを
とりあえず一つ。
(残りはこの先、いつか触れることがあると思うので、小出しにする)

関ヶ原〈下〉 (新潮文庫)
すでに黒田如水として隠居していたはずが、
石田三成と徳川家康の争いのどさくさに紛れ、
九州を平らげ、関ヶ原の勝者との最終決戦を目論んでいた。
もろくも、野望は簡単に砕けたが、
そんなことをおくびにも出さず、京都で情報収集をしていた時に、
山名禅高が如水の元を訪ね忠告をする。
要するに如水が京都で謀反をたくらんでいると。
(この男こそ家康のまわしものである)とピンときた如水は
激怒したように装い、禅高に対し、もしそうなら自分は、
その機会があった時に乱を起こしていたと。
さらにその戦略まで語った。
「(平定した)九州の兵をひきいて山陽道をのぼる。
破竹のように攻めのぼる。先鋒は加藤清正である。
あの勇猛な清正がわしの軍配で働くならばむかうところ敵はない。
・・・中略・・・
播州はわが故郷であり、なじみの者が多い。
この播州に旗をたて、檄を天下にとばせば慕いあつまる者は十万をくだらぬであろう。
その兵をもって内府(家康)の軍と決戦すれば
天下の権はどちらに落ちたかわからない」
<関ヶ原〈下〉 (新潮文庫)
しかし、それをやらなかった自分が今さら謀反を起こすと思うか?
と説明し、家康も安心した。
とにかく、黒田如水の経歴と才能がなくては、
このような戦略は語れないであろうし、
「やろうと思えば出来たのに、やらなかったのだ」
とも言えないであろう。
姫路が生んだ英雄であることは間違いない。

雨の日の姫路城は重厚な感じがする

歴代城主の瓦紋


