
松平容保は孝明天皇の存在みが
心のよりどころであった。
京都では、日に日に幕府、開国派、
会津藩が追いつめられていく。
初めて御所を参内した容保は、
建物としては会津若松城よりも
規模として劣る御所にも感激した。
これから帝に拝謁出来るのである。

御簾を隔てて拝謁した容保は
雷に打たれたように動けない。
まして顔面蒼白である。
そんな容保に帝は親近感をおぼえた。
ある日、帝が、
・・・・「わしに望みがある」
と廷臣に謀った。
「音に聞く会津藩の練兵をみたい」・・・・
新装版 王城の護衛者 (講談社文庫)

天覧の馬揃えは、織田信長以来のことであった。
容保の采配によって自由自在に動く会津藩の練兵を見て、
帝は大満足であったという。
会津藩主 松平容保の生涯における渾身一滴の采配であったろう。



