
幕末の京都。
無政府状態の都に民衆の歓喜の声が沸き上がった。
会津藩が京都守護職として常駐するのである。
当時の幕閣から藩風、教育水準、兵の強さを頼みにされ、
この大任に抜擢された。

藩主は松平容保。
藩祖、保科正之がつくった家風は士風凛烈。
正に、将軍を守護するために武芸に励むというものであった。
しかし、京都守護職という名の非常警察の役目は、
長州、薩摩という役者を相手に険しい道となる。
文久二年、はるばる会津の鶴ヶ城を出発した藩士達は、
故郷に戻る日を夢見て王城の地を踏んだであろう。
かたや京の士民は、威風堂々と進んでくる会津藩の軍列を見物し、
その頼もしさに感激する。
・・・・「さすがは会津様や」
と、沿道の士民のあいだでどよめく声がおこった。
隊列はおよそ一里にわたっていた。
京都人は、三百年来、はじめて屈強の軍隊というものを
みたことになる。
なにぶん幕末以前は、幕法によって諸大名は
通過することさえ禁ぜられていた。
正式に藩主が兵をひきいてやってきたのは、
この日、会津藩が最初であった。・・・・
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そして有名な唄が流行するのであるが、
時代の流れは期待だけでは変えることが出来なかった。
会津肥後さま、京都守護職つとめます
内裏繁昌で、公卿安堵
トコ世の中、ようがんしょ



