
彦根の赤鬼と言われる井伊直弼を討つために、
薩摩藩士有村治左衛門は江戸へ来た。
秘密裏に進められていた水戸藩、薩摩藩の
井伊斬奸計画だったが、日を追うごとに
薩摩藩士が次々と脱けていき、
治左衛門ひとりが唯一の薩摩藩士となった。

治左衛門はまだ二十歳そこそこの若者で、
普段はぼんやりしているところもあるが剣の腕は立つ。
さらに詩を書かせると激越な詩をつくる。
そんな治左衛門がこう言った。
・・・・「自分ひとりが参加するだけでも、
水薩義盟に対する薩人の誠意が後生に
疑われずに済む」
(中略)
「私は井伊の行列にまっさきに斬り込み、
島津家四百年の武勇を代表したい」・・・・
幕末 (文春文庫)

水戸の同志達は、治左衛門の志に打たれ、
また、後の倒幕運動のためにも
薩摩藩に花を持たせるということで一同賛同した。
みな治左衛門に好意的であった。
そして三月三日雪の朝、治左衛門一統は桜田門外で悲願を果たした。
目撃者によると、直弼を討った者が薩音で高らかに叫んだと言われている。
しかし、重傷を追った治左衛門は和田倉門付近まで歩き、そして力尽きた。



