
豊臣秀吉の小田原城攻めが終わる頃、
秀吉が家康を連れ小便に誘い、
北条氏を滅ぼした後、
家康に関八州を与えると言ったという。
この言葉の裏の意味が怖いほど分かる家康にとっては、
苦渋の決断であった。

三河以来の家臣達は猛反発をしたが、
すでに、反抗を実現できる状況ではなかった。
家康は秀吉に臣従したばかりであったのだ。
・・・・「居所ハ、江戸城然ルベシ」
(中略)
江戸しかるべしと秀吉が言ったのは、
かれの貿易立国の思想から出ている。・・・・
街道をゆく〈36〉本所深川散歩・神田界隈 (朝日文芸文庫)
/司馬遼太郎/ より抜粋
この言葉で、秀吉に顔色の変化を
読みとられないようにしていた家康の脳裏に、
未来の繁栄都市の姿が一気に沸き上がった。

こうして不平を言う家臣を引き連れ、
粗末な江戸城に入った。
後に人口100万人を養う城下町は
ここから始まるのであった。



