
・・・・道灌の名声の何割かは、
かれが設計した斬新な構造をもつ
江戸城が負っている。・・・・
箱根の坂〈中〉 (講談社文庫)
北条早雲は太田道灌を尊敬していた。
山内上杉家、扇谷上杉家の両管領家の争いの中で、
太田道灌の名は際立って高かった。

歌人、武人、築城の名手として、
関東随一の者だった。
京の将軍、足利義政との謁見でも
その才能を発揮した。
その将軍が、北関東からの脅威のため
江戸に築城を命じたとも言う。

とにかく、江戸城を築城した道灌は、
主君、扇谷上杉定正のために、
惜しみなく働き続けた。
その才能がゆえに、扇谷上杉家は
太田道灌で保っているという評判が立ち始め、
やがて疑心暗鬼になった主君に殺される。

いつの時代でも、多くの人々に
期待される人物は志半ばでこの世を去る。


