朝鮮の役の際に名声を高めた。

戦役から帰ってきた武士達は
口々に又兵衛の鬼神のような働きを
褒め称えた。
・・・・たいていの武士は、
朝鮮における基次の装束まで憶えていた。
銀の天衝を前立にした兜をかぶり、
黒幌をかけた基次が敵陣へ突き入ると、
まるで野分に吹き倒される草のように
明軍はみだれたという・・・・・
言い触らし団右衛門 (中公文庫)

そんな筑前黒田五十二万石の福岡城下から
後藤又兵衛は去って行った。
主人の黒田長政との不和であった。
一万六千石の大身であった又兵衛を
隣国の細川忠興は二万石、
安芸の福島正則は三万石、
姫路の池田輝政は三万五千石で取り立てようと動いた。。
いづれも又兵衛は仕官を断った。
断るたびに男の価値が上がっていったという。

そのうちに大坂−江戸が不和になり、
後藤又兵衛は豊臣方の武将として
大坂城へ入城、夏の陣で道明寺口で討ち死にした。
最後は徳川方から五十万石の価値がついたという。
男冥利につきるものである。



