二本松城はその支城であった。
しかし、現在の感覚では、「ずいぶんと立派な支城だった」と感じる。
会津120万石級のスケールの大きさを感じる。

そのはるか後、戊辰戦争の後半というべき時期に、
会津白虎隊の悲劇に先立って
二本松少年隊の悲劇もあったが、
全国的には資料が少ない。
・・・・・歴史は常に勝者によって創られる。
敗者の真実の姿は記録にとどめられることは少ない。・・・・
会津士魂〈9〉二本松少年隊 (集英社文庫)

その二本松少年隊の背景を探ってみた。
にわかに新政府を認められず、
または徳川氏に恩義を想う諸藩が
奥羽列藩同盟を結んだが、
戦況によって次々と脱藩していった中、
二本松藩は違った。
・・・・・二本松丹羽氏は外様である。
倒幕急進派の西軍首脳の目から見れば、
ほどほどのところで降伏するはずだったのだ。
たとえ外様でも、二本松藩には士魂が生きていた。
奥羽列藩同盟に加わったことを悔やむ藩もある。
西軍の進撃を見て節を変えた藩もあったし、
分裂したところもある。
だが丹羽一門はそうではなかった。
当初から会津と運命を倶にする決意を変えなかった。・・・・
会津士魂〈9〉二本松少年隊 (集英社文庫)

そんな家風の中から生まれた二本松藩の悲劇だが、
後世にも丹羽氏の士魂たるものが、
今の二本松の町の人々の中に生きている気がした。



