
戦国時代の古地図で見ると二本松は奥羽地方でも
ほぼ中央にあり、要衝であることがうかがえる。
しかし、伊達政宗率いる伊達勢と、
畠山義継の遺児、国王丸を擁する
畠山、近隣七街道連合が戦った人取り橋の合戦は、
様相が違っていた。

二本松城主、畠山義継は伊達輝宗をあざむき、
人質として拉致しようとしたところを
伊達の救援隊によって討たれた。
もちろん輝宗も死んだ。
政宗、隠居の実父を殺され、
怒りに震え、二本松城を攻め落とそうと計画。
かたや、義継の遺児、十二歳の国王丸も
父の首をさらされた怨みをぶつけた。

・・・・おそらく畠山国王丸は父が梟首されたように、
政宗の首級を奪って二本松の城下へ梟ける夢を
描いて張り切っているいるのに違いない・・・・
伊達政宗 (1) (講談社漫画文庫)
そうして起きた人取り橋の合戦では、
双方の憤怒がぶつかり合い、大激戦となった。
勝敗は、かろうじて伊達勢が勝利を収めたが、
後世に伝わる話では、政宗の師である虎哉禅師が
政宗の無駄な戦を諌めたことが有名となった。



