
応仁の乱以後の戦国時代初期、
今川家が治める駿河の国の国府は
駿府と呼ばれていた。
駿河守護、今川義忠の死により、
穏やかな駿河に関東の上杉定正の魔の手が伸びる。

今川の正嫡は氏親であるが、
幼主のため、駿府館を上杉定正の親類である
今川範満が守護然としている。
北条早雲は、亡き義忠への忠義を貫き、
嫡子氏親のために駿府館を奪い取る計画をした。
その気配を察し、駿府館防御体制をとった。
・・・・駿府館が、三ヶ所にあらたに櫓をあげる計画をし、
諸方に普請の手伝いを命じたのである。
「なぜ、いまさら櫓など」
と、ひとびとは不審がった。
駿府館はのちの世の城ほどではないが、
その防禦の固さは東海一といわれて、
いまさら堅固にすることはなかった。・・・・

北条早雲の働きもあり、やがて今川範満は討たれ、
今川氏の正嫡である氏親が駿府に入った。
勲功第一の早雲が逆に駿府を簒奪することも可能だったろうが、
穏やかなこの駿河の国では気が引けたのかもしれない。



