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ヒデムラ

妻が運営している「ご当地ですよ!」というサイトの中に、百名城のコメントを書いてくれと頼まれたことがきっかけで、ブログを始めました。
元々好きだった日本各地の城を実際に一つずつ訪ねる旅は、時間がかかることですが、思わぬ楽しみとなっています。

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熊本城 ~時代を越えて~

kumamotojou_1.jpg


・・・清正は熊本城を築いた。
   当時の築城工学からみればこの城の防御力は
   最高のものであったらしく、
   とくに当時の用語で「はね出し」とよばれた
   石垣積みの工法では同時代のどの城も
   熊本城に及ばなかった。・・・・




加藤清正は多くの戦を経験した上で、
この熊本城築城に着工した。

もちろん朝鮮の役で、蔚山籠城の苦難をも、
この城造りに活かしたはずだ。

熊本城の威容や、随所に見られる構造上の工夫など、
様々な書籍によって想像をめぐらせることが出来る。
kumamotojou_2.jpg


しかし、関ヶ原の役後の徳川政権が確立しつつある時期に、
このような物々しい「いくさ城」を築城した清正の真の狙いは
何だったのか?

・・・・それほどに堅牢な要塞を清正に築かせたのは、
   豊臣政権の戦略的な必要からであった。

   中略

   ところがはるかに降って明治政府が、
   そのエネルギーをもろにかぶってしまった。
   明治十年の西郷の乱で、薩南一万数千の
   エネルギーが薩肥国境をこえて噴出し、
   熊本城にぶちあたり、この清正の城の攻防を
   めぐって明治政府の存亡が賭せられてしまったのである・・・・


<司馬遼太郎/ワイド版 街道をゆく〈3〉陸奥のみち、肥薩のみちほか>より抜粋

kumamotojou_3.jpg

およそ270年後の西南の役で、
清正の「芸術作品」が両軍の明暗を分けることになった。

清正は、ひょっとしたら数百年後に誰かが、
このように利用することも考えていたかも知れない。
kumamotojou_4.jpg

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