もうひとつの駆け引きの幕が降りようとしていた。

秀吉が九州を鎮圧していたころ、
奥羽の諸将たちは、様々な動きをしていた。
中でも伊達政宗は、あわよくば奥州王として
天下を望んでいた。
しかし、登場が遅すぎた。
しぶしぶ石垣山の秀吉のもとへ出向いた政宗。

・・・・秀吉は普請場にあらわれた政宗をみるや、
にこにこと笑いかけながら、手招きをした。
中略
「いますこし、参着が遅れたなら、
ここがあぶなかったぞよ」
いいつつ、杖の先を政宗の頸へ差し当てたものだ。・・・・
<池波正太郎/真田太平記(三)/新潮文庫>より抜粋
さすがの伊達政宗も秀吉にかかっては子供扱いであった。
役者としては、秀吉のほうが一枚上であった。



