将軍職を秀忠に譲り、徳川幕府を磐石にしたいと考える家康にとって
まさに目の上のたんこぶは秀頼、豊臣家のこと。

そこで、徳川の京都の拠点である二条城に、
秀頼上洛の命を発した。
上方においては、すでに豊臣から徳川の時代に変わっていることを
家康存命中に知らしめねばならない。

果たして、秀頼上洛。
街道を埋め尽くす故太閤を偲ぶ民衆。
皆が、秀頼を良き太閤時代の再興を願っている。
家康は噂では、「秀頼殿は故太閤に似て、痩せているお人」
と聞いていた。
しかし、二条城玄関先で籠から降りた秀頼は、家康に衝撃を与えた。
・・・・秀頼は出た。
家康はあやうく声をあげそうになった。
背の高さは五尺八寸を超えているであろう。
色白く両眼涼やかで堂々たる偉丈夫であり、
かれが立っただけでそのあたりに光芒を
射さすかのようであった。
この秀頼の骨柄の大きさは母方の祖父
浅井長政の生きうつしであり、
もしその頭脳気根まで長政から遺伝していると
すれば容易ではあるまい。・・・・・・
豊臣家の人々 (中公文庫)
秀頼19歳、家康自身の歳から見ると、後年の脅威であったのであろう。
ついに豊臣家を無きものにする決心をした。



