自己紹介

ヒデムラ

妻が運営している「ご当地ですよ!」というサイトの中に、百名城のコメントを書いてくれと頼まれたことがきっかけで、ブログを始めました。
元々好きだった日本各地の城を実際に一つずつ訪ねる旅は、時間がかかることですが、思わぬ楽しみとなっています。

ヒデムラの百名城
ヒデムラの百名城

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ

ご当地関連リンク

このブログをリンクに追加する

関連キーワード

司馬遼太郎 秀吉 豊臣秀吉 小田原城 小田原 北条早雲 池波正太郎 躑躅ヶ崎館 家康 江戸城 甲府城 二条城 徳川慶喜 近藤勇 姫路城 加藤清正 伏見城 大坂城 新選組 伊達政宗 松平容保 会津 駿府 山本勘助 箱根 熊本城 武田信玄 福岡城  黒田如水 長曾我部元親 高知城 真田昌幸 大坂冬の陣 黒田官兵衛 真田幸隆 姫路 関ヶ原 ご当地 真田丸 石垣山 新撰組 織田信長 上田城 高知 山内一豊 高杉晋作 吉田東洋 長宗我部 吉田松陰 世に棲む日々 真田信幸 坂本竜馬 真田幸村 六文銭 毛利 秀頼 秀忠 丹羽長重 片倉景綱 藤堂高虎 白河城 佐藤宮内 世良修蔵 鶴ヶ城 山川大蔵 佐川官兵衛 西郷隆盛 細谷十太夫 衝撃隊 信玄 高坂昌信 海津城 上杉謙信 北条 早雲 からす組 葛籠重蔵 鳥居元忠 川越城 彼岸獅子 会津藩 二本松城 蒲生氏郷 二本松 二本松藩 駿府城 川中島 今川氏 駿河 今川義元 徳川家康 後藤又兵衛 黒田長政 太田道灌 孝明天皇 会津若松 白虎隊 武田晴信 忍者 御旗 盾無 甲斐 宇土櫓 

 

見出し東北
二本松 鶴ヶ城 白河城
二本松城 鶴ヶ城 白河城
見出し関東甲信越
上田城 躑躅ヶ崎 甲府城 江戸城 小田原城 石垣山城 川越城
上田城 躑躅ヶ崎館 甲府城 江戸城 小田原城 石垣山城 川越城
川越城
川越城
中部東海 近畿
駿府城 大阪城 姫路城 二条城 伏見城
駿府城 大阪城 姫路城 二条城 伏見城
四国中国 九州
高知城 萩城 松江城 月山富田城 福岡城 熊本城
高知城 萩城 松江城 月山富田城 福岡城 熊本城

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。



甲府城 ~最後の行軍~

koufu_5.jpg


大政奉還後、京都を戦慄させた新選組
行き場を失い、崩壊寸前だった時期に、
思いもよらぬ情報が入った。

幕府瓦解後の甲州百万石が置き捨てになっている。
甲府城が手に入る。

koufu_6.jpg


近藤勇、勇躍して甲府城攻撃の軍を起こした。
その名も「甲陽鎮撫隊」。

・・・・かつてはこの道を武田信玄の軍勢も通って関東に入り、
    豊臣秀吉の軍勢も通って八王子を攻めたはずの道で、
    あるいは百年前、江戸を発った近藤勇の軍勢がここをのぼり、
    大砲を引きながら甲州(山梨県)へむかった。・・・・


ワイド版 街道をゆく〈1〉甲州街道、長州路ほか
/司馬遼太郎/朝日文芸文庫 より抜粋

koufu_7.jpg


甲府城へ向かう近藤勇の心境はどのようなものだったか。
これが最後の進軍になるとは思っていなかっただろう。
    
koufu_8.jpg




スポンサーサイト

甲府城 ~裁断を待つ城~

koufu_1.jpg


三代将軍、徳川家光の栄光の影で、
一つの命が消えようとしていた。
家光の弟、駿河大納言忠長である。

甲斐甲府城で、やがて下る裁断を待っていた。

koufu_2.jpg


「生まれながらにして将軍」の家光は、
徳川幕府を盤石にしようとする側近達によって
処分されようとしている弟忠長へ
救いの手を延ばす。

しかし、謀反の疑いのある忠長の
処分を寛容にすれば、徳川体制に隙が出来てしまう。

・・・・「春日、その方は何と思うぞ。
     今日の評定でな、駿河を助けようと
     申した者は一人もおらぬ。
     駿河は、それほど皆に憎まれていたのであろうか?」・・・・


徳川家光〈1〉 (山岡荘八歴史文庫)/講談社文庫 より抜粋

koufu_3.jpg


側近達が言葉を濁していたのに反し、
乳母、春日の局ははっきりと忠長の処分の必要性を語ったのであった。

のちに、高崎城に移送された駿河大納言忠長は自害。
家光と徳川体制の影に、若い命を捧げた。

koufu_4.jpg




躑躅ヶ崎館 ~軍師誕生~

tutsuji_9.jpg


「軍師」という言葉を聞いて、
山本勘助と思い浮かぶ人は何人いるだろう。

昨今のドラマや小説で注目されたせいもあるが、
ある本では、軍師という役割りは、
山本勘助が最初である。としている。

参照軍師の時代―戦国乱世を演出した名将烈伝/堀和久/日本文芸社

tutsuji_10.jpg


武田晴信と結びついたエピソードは様々である。
躑躅ヶ崎館で初めて対面した勘助の相貌を見ただけで、
その潜在能力に魅力を感じ、多大な知行を与えた。

甲斐を平定し、信州へと侵攻する晴信に
作戦、領民撫育など、勘助は影から進言し、活躍する。

そんな山本勘助も、武田の居館である躑躅ヶ崎館を見て考えた。

・・・・武田の居館を攻め落とすのは、
    何でもないと思う。
    山上からみると、まるで無防備である。
    この無防備のままで、何事もなく
    今日まで来られたというのは、
    全く常に出でて闘って、
    国内に敵を引き入れたことが
    なかったからであろう。・・・・


風林火山/井上靖/新潮文庫 より抜粋

tutsuji_11.jpg


勘助は、主君晴信への感謝の気持ちと共に、
自分の役割をはっきりと掴んだのだろう。

tutsuji_12.jpg





躑躅ヶ崎館 ~秘密の間~


tutsuji_5.jpg


武田信玄には変わった趣味があった。
いや、趣味と言うのは失礼であろう。
しかし、現代人から見ると非常に興味深い。

代表的なものは、居館、躑躅ヶ崎館の「厠」だ。

・・・・看経の間の奥に、信玄専用の厠がある。
    この便所は六坪であった。
    畳敷きにして十二畳ものひろさをもつ便所に、
    信玄は朝と夜の二回、かならずといって良いほど入る。
    入って数時間は出てこない。
    領国の政治から、戦陣の研究、他国への外交など、
    いっさいの思案が便所の中でおこなわれる。・・・・


真田太平記〈1〉天魔の夏 (新潮文庫) /池波正太郎 より抜粋

tutsuji_6.jpg


善政を敷き、甲斐の領民の信頼があったならばこそ、
当時最強と言われた軍団を維持できたであろう。

tutsuji_7.jpg


また、忍びの者を良く使った諜報活動により、
情報戦略にも優れていたと言われる。

忍者小説の多くは、武田信玄を忍び使いの模範としている。
理由は、忍びの者へも同じ人間として尊重していたためである。

tutsuji_8.jpg


そんな忍びも、信玄の厠に待機していたと言う。
一心同体であったのだろう。



躑躅ヶ崎館 ~堅城の証~

tutsuji_1.jpg


武田二十四将と聞いただけで胸が高鳴る。
戦国の英雄と言われた様々な武将でも、
武田信玄ほど家臣を信じ、適材適所に配置し、
縦横無尽に活躍させた大名も少ないだろう。

「人は城、人は石垣、人は堀...」
という言葉が武田信玄の家臣を信頼する
考えを映し出している。

tutsuji_2.jpg


躑躅ヶ崎館は、天守や櫓といったものがないが、
堂々と百名城に名を連ねる。

後世、映画やドラマでも、
武田家を象徴する館として、
様々なエピソードの舞台となった。

父信虎との確執や、家臣との戦評定、
出陣の際の「御旗」、「盾無」に
戦勝を誓うシーンなども
躑躅ヶ崎館だからこそ他の大名家とは
違った印象を受けるのだろう。

父信虎が築いた躑躅ヶ崎館も
父を追放した信玄によって
武田家の象徴と変貌していった。

・・・・・信虎は武田の陣を一望して、見事だと思った。
     知らない間に、この謀略を用意した晴信も、
     見事に武田の元首信虎を裏切った宿将たちの
     一糸乱れぬ協力も見事だと思った。・・・・・


武田信玄 風の巻 (文春文庫) /新田次郎 より抜粋

tutsuji_3.jpg


実父を追放するという一歩間違えば、
謀反人とされる大博打も、
家臣団に信頼されていなければ成し得なかったことである。

tutsuji_4.jpg





福岡城 ~騒動に忠臣あり~

黒田如水の孫であり長政の子である忠之の代に、
筑前黒田家が取り潰しになるやも知れない状況がおきた。
いや、忠臣の栗山大膳が起こしたとも言える。

fukuoka_9.jpg


如水の代の家臣であった栗山善助は
有岡城に幽閉されていた如水を救出した。
その子が栗山大膳である。

fukuoka_10.jpg


長政亡きあとの忠之は、善政の道を外しつつあった。
また、無能だがお気に入りの側近を重く用い、
お家を大事に思う家臣を遠ざけるという、
よくありがちな没落への道へ向かっていた。

そこで活躍したのが栗山大膳である。
主君をもあざむく深謀を企てた。

結果として、領主忠之にはお咎めは無く、
家臣は一旦放逐となり、有能なものは
近隣諸国に召抱えられた。

fukuoka_11.jpg


もちろん大膳も黒田家を去ったが、
ゆくゆくは取り潰しになったであろう
家を守れて、ほっとしたに違いない。

・・・・大膳の苦肉の策が成功して、
    黒田家は加藤家のような
    お取りつぶしをまぬかれたのである。

    大膳の父善助が、黒田如水
    有岡城の獄中から救い出したように、
    如水の孫の忠之は善助の子に
    救われたわけである・・・・・


黒田長政/徳永真一郎/光文社時代小説文庫 より抜粋

fukuoka_12.jpg





FC2Ad

相続 会社設立

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。