
後世の人々は、「あの時こうしていれば...」
と、思うことは多い。
「歴史に if は禁物」とはよく言ったものだ。
歴史ではなくても我々の身の回りでもそうだが...

関白秀吉の
小田原攻め。
俗に言う「
小田原評定」。
油断していると現代でも言われがちだ。
・・・・「箱根の天険を利して、敵を迎え撃つがよろしい」
一歩もゆずらぬ。
箱根の山々は、小田原城を囲んで屏風のように、
そびえ立っている。
むろん、そこには北条方の城や砦があって、
豊臣秀吉も、
「まず、難関は箱根の山よ」
こういっていたほどだ。・・・・・真田太平記〈3〉上田攻め (新潮文庫)
より抜粋

大軍の敵に何重にも囲まれた時点で時すでに遅しの感があったが、
小田原城内では、主戦派、籠城派で何日も議論が繰り返された。
結果は周知の通り、
しかし、過去の決断をとやかく言うことは愚の骨頂であろう。
下克上の先駆者。
国盗りの大悪党。

様々な代名詞を欲しいがままにした
伊勢新九郎こと後の北条早雲。
しかし、京から出て、己の才覚だけで
駿河、伊豆と勢力を伸ばし、
小田原を手中に治められた背景には、
領民に寛大で、家中の者を大事にしたという事実も認められる。
・・・・(小田原を討とう)と、決心した。
敵は、甲斐の武田ではなく、相模小田原の
大森氏であるという肚が、富士の稜線よりも
くっきりと出来上がった。
早雲の胸に、悪謀が湧いている。
悪謀は山河湖沼の形をしていた。
この甲州境いの籠坂峠にあって、
軍勢の顔を甲州に向けながら、
そのじつ東方の足柄・箱根の山塊をおもい、
さらにはその重畳とした山々を越えて
小田原を攻めおとそうというのである。・・・・箱根の坂〈下〉 (講談社文庫)
より抜粋

簡単に小田原を落とした早雲だったが、
小田原を攻めるにあたり、苦悩が続く。
「後世の大悪人になるのではないか...」

小悪人ではなく、後に英雄と言われる者の苦悩であろう。