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ヒデムラ

妻が運営している「ご当地ですよ!」というサイトの中に、百名城のコメントを書いてくれと頼まれたことがきっかけで、ブログを始めました。
元々好きだった日本各地の城を実際に一つずつ訪ねる旅は、時間がかかることですが、思わぬ楽しみとなっています。

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二条城 ~終止符~

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最後の将軍、徳川慶喜二条城の大広間に
幕府役人を集めて言った。

   ・・・・「いま天下の諸侯はもはや戦国のころように割拠している。
        幕府の威令おこなわれず、召せども来ぬ。
        このままでゆけば日本は三百の大小国に分裂するしかない。
        徳川家が政権を返上しさえすればそれが一つにまとまる。
        すべては天下安寧のためである。
        神祖は三百年以前、天下安寧のために業を創められた。
        いま天下安寧のために政権を棄つ。
        神祖の御志とおなじである。
        棄ててもってそのご遺志を継ぐことになる。」

        中略

        その御弁明に酔えるなり。 ・・・・


最後の将軍―徳川慶喜 (文春文庫)より抜粋

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徳川慶喜はまさに「数奇の運命」の人であろう。
将軍在職わずか。
徳川幕府に終止符を打つべく将軍職を継いだことになる。

後世の人々から様々な憶測で書に書かれいるが、
本当の苦悩は本人にしか分かるはずがないであろう

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二条城 ~ほとがら~

幕末の京都。
泣く子もだまる新選組。
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その局長、近藤勇のある一面を紹介している下りがあった。

  ・・・歳三は、近藤の部屋の障子をあけた。
     「おっ」
     棒立ちになった。
     近藤が、真白ですわっている。
     「どうしたんだ」
     「これか」
     近藤はにこりともせずに自分の顔を指し、
     「ほとがらよ」・・・・


燃えよ剣 (上巻)より抜粋

この時の「ほとがら」=「写真」が
後世に伝わる近藤勇像か。

なんとも味のある下りだ。

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このほとがらの黒幕は徳川慶喜であるそうな。
慶喜は、二条城に登城してくる大名をつかまえては
写真を撮りまくったようだ。

新選組の隊士たちも、局長近藤勇
大名なみの待遇をみて複雑な気持ちだっただろ。
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二条城 ~世紀の対面~

秀頼が大坂ににいる限り、上方の民は豊臣びいきである。
将軍職を秀忠に譲り、徳川幕府を磐石にしたいと考える家康にとって
まさに目の上のたんこぶは秀頼、豊臣家のこと。
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そこで、徳川の京都の拠点である二条城に、
秀頼上洛の命を発した。

上方においては、すでに豊臣から徳川の時代に変わっていることを
家康存命中に知らしめねばならない。
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果たして、秀頼上洛。
街道を埋め尽くす故太閤を偲ぶ民衆。
皆が、秀頼を良き太閤時代の再興を願っている。

家康は噂では、「秀頼殿は故太閤に似て、痩せているお人」
と聞いていた。

しかし、二条城玄関先で籠から降りた秀頼は、家康に衝撃を与えた。

  ・・・・秀頼は出た。
      家康はあやうく声をあげそうになった。
      背の高さは五尺八寸を超えているであろう。
      色白く両眼涼やかで堂々たる偉丈夫であり、
      かれが立っただけでそのあたりに光芒を
      射さすかのようであった。

      この秀頼の骨柄の大きさは母方の祖父
      浅井長政の生きうつしであり、
      もしその頭脳気根まで長政から遺伝していると
      すれば容易ではあるまい。・・・・・・


豊臣家の人々 (中公文庫)(第九話 淀殿・その子)より抜粋

秀頼19歳、家康自身の歳から見ると、後年の脅威であったのであろう。
ついに豊臣家を無きものにする決心をした。

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