
最後の将軍、
徳川慶喜は
二条城の大広間に
幕府役人を集めて言った。
・・・・「いま天下の諸侯はもはや戦国のころように割拠している。
幕府の威令おこなわれず、召せども来ぬ。
このままでゆけば日本は三百の大小国に分裂するしかない。
徳川家が政権を返上しさえすればそれが一つにまとまる。
すべては天下安寧のためである。
神祖は三百年以前、天下安寧のために業を創められた。
いま天下安寧のために政権を棄つ。
神祖の御志とおなじである。
棄ててもってそのご遺志を継ぐことになる。」
中略
その御弁明に酔えるなり。 ・・・・最後の将軍―徳川慶喜 (文春文庫)
より抜粋
。
徳川慶喜はまさに「数奇の運命」の人であろう。
将軍在職わずか。
徳川幕府に終止符を打つべく将軍職を継いだことになる。
後世の人々から様々な憶測で書に書かれいるが、
本当の苦悩は本人にしか分かるはずがないであろう
秀頼が大坂ににいる限り、上方の民は豊臣びいきである。
将軍職を秀忠に譲り、徳川幕府を磐石にしたいと考える
家康にとって
まさに目の上のたんこぶは
秀頼、豊臣家のこと。

そこで、徳川の京都の拠点である
二条城に、
秀頼上洛の命を発した。
上方においては、すでに豊臣から徳川の時代に変わっていることを
家康存命中に知らしめねばならない。

果たして、
秀頼上洛。
街道を埋め尽くす故太閤を偲ぶ民衆。
皆が、
秀頼を良き太閤時代の再興を願っている。
家康は噂では、「
秀頼殿は故太閤に似て、痩せているお人」
と聞いていた。
しかし、
二条城玄関先で籠から降りた
秀頼は、
家康に衝撃を与えた。
・・・・秀頼は出た。
家康はあやうく声をあげそうになった。
背の高さは五尺八寸を超えているであろう。
色白く両眼涼やかで堂々たる偉丈夫であり、
かれが立っただけでそのあたりに光芒を
射さすかのようであった。
この秀頼の骨柄の大きさは母方の祖父
浅井長政の生きうつしであり、
もしその頭脳気根まで長政から遺伝していると
すれば容易ではあるまい。・・・・・・豊臣家の人々 (中公文庫)
(第九話 淀殿・その子)より抜粋
秀頼19歳、
家康自身の歳から見ると、後年の脅威であったのであろう。
ついに豊臣家を無きものにする決心をした。