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ヒデムラ

妻が運営している「ご当地ですよ!」というサイトの中に、百名城のコメントを書いてくれと頼まれたことがきっかけで、ブログを始めました。
元々好きだった日本各地の城を実際に一つずつ訪ねる旅は、時間がかかることですが、思わぬ楽しみとなっています。

ヒデムラの百名城
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白河城 ~唄にみる白河攻防戦~

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白河城をめぐり、
官軍と奥羽列藩連合軍の
熾烈な攻防戦が続いた。

白河城が官軍の手に落ちた早々、
二本松にいた仙台藩士、
細谷十太夫は、白河城への
切り込みを望んだが許可が降りなかった。

憤慨した細谷は、
捨て台詞を残して本陣を出た。
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蕎麦屋で思案でも、
と入った店内で二人の博徒で出会い、
すぐに手下とした。

縄張りを官軍に蹂躙され、
怒り心頭の博徒、侠客、無頼の徒を集め、
みるみる膨らみ、その数五十七名。
結成した隊の名は「衝撃隊」。

彼らは、筒袖、小袴、脚絆など
全身を黒で統一した。
一方では「からす組」とも呼ばれた。
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白河は奥羽への玄関口。
ここを奪い返すことが、
奥羽連合軍の第一の重点目標である。

しかし、優れた火器を数多く持つ官軍に、
奥羽連合軍はあと一歩及ばず敗退した。

そんな中、細谷十太夫率いるからす組
神出鬼没のゲリラ戦で官軍を悩ませ続けた。

奥羽連合軍の敗因は、、
諸藩の連携がうまく取れなかったと言われている。

皮肉にも、博徒、侠客により結成された
からす組によって一矢報いた感がある。
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いつしか、官軍の中に流行唄が流れた。

・・・・細谷がらすと十六ささげ
    なけりゃ官軍 高枕 ・・・・


会津士魂〈8〉風雲北へ (集英社文庫)
/早乙女貢 より抜粋



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白河城 ~白河城問答~

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白河城丹羽長重が、
南北朝時代の小峰城を改築して
建てた城であった。

長重が白河城主になるまでには、
苦難の連続であった。

父である丹羽長秀亡きあと、
篤実な長重はみるみる落ちぶれていった。

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そんな長重にも転機が訪れる。
人の運命を操ることにかけては天下随一の
藤堂高虎によるものであった。

高虎から家康への推薦もあり、
長重は白河に国をもらった。
十万石であった。

この話は、当時のことを考えると、
単なる「タナボタ」ではなく、
人柄を考慮しての大名配置であったであろう。

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丹羽長重の人柄を彷彿させるエピソードがある。

ひとつは、会津領主であった加藤嘉明が
白河を通過する時、
普請中の白河城を案内し、
意見を言ってくれとせがんだという。

適当に答えた嘉明にしつこく食い下がったそうだ。

もうひとつは、
やはり城内を案内したことのある
伊達政宗が白河を通過する際に、
重臣の片倉景綱

・・・・「この城、わしなら朝飯前につぶす」    
      
      といったところ、片倉は、

     「いや、この城に江口三郎右衛門(丹羽家の名臣)
     がいるかぎりは、落城は昼になりましょうな」・・・・



街道をゆく〈33〉奥州白河・会津のみち、赤坂散歩 (朝日文芸文庫)
/司馬遼太郎 より抜粋

と言ったそうだ。
いずれにしても、なめた話である。


しかし、高虎の人選は当たっていた。
自家の藤堂家は早々に徳川家を裏切ったが、
丹羽家は二本松城で最後まで
徳川家に忠義を尽くしたのであった。

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白河城 ~神々の抵抗~

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奥州鎮撫総督。
その呼び名で奥州に現れた男がいた。
名を世良修蔵といい、長州奇兵隊出身である。

彼は奥州を甘く見ていたかもしれない。
西国の諸藩が次々と新政府軍に降っていった時期である。
しかし、奥州は彼の期待を裏切った。

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東北の雄藩、仙台藩を拠点とし、
最大の敵国会津藩の包囲と開戦を待っていた。

奥州鎮撫の実権を握る世良修蔵は、
傲慢な態度で威圧外交を強いていた。
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そんな中、心ある藩士からは、
世良斬るべし。との声が高まっていった。

仙台藩士、佐藤宮内。
佐藤は白河城を守っていた。
世良がいよいよ会津討ち入り準備のために、
白河城に来たが、馬上から呼び捨てにした非礼を
許さなかった。

佐藤宮内には、相馬地方の名族の血が流れている。

・・・・「いまにみよ、奥州の神々が震う」
    と側近にささやくのみで、白河城から
    一歩も動こうとしない。・・・・


故郷忘じがたく候 (文春文庫)/司馬遼太郎/斬殺 より抜粋

そう、ここは神々の棲む国の玄関口なのである。
そして世良修蔵は、見せしめのために斬られたのである。

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