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妻が運営している「ご当地ですよ!」というサイトの中に、百名城のコメントを書いてくれと頼まれたことがきっかけで、ブログを始めました。
元々好きだった日本各地の城を実際に一つずつ訪ねる旅は、時間がかかることですが、思わぬ楽しみとなっています。

ヒデムラの百名城
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江戸城 〜無血への陰謀〜

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鳥羽伏見で敗れた徳川幕府軍は、
将軍徳川慶喜の大坂脱出により
ちりぢりに江戸へ向かうことになった。

大政奉還によって
新政府がうちたてられたとはいえ、
箱根より東には江戸城もあり、
幕府歩兵、幕府海軍は健在であり、
はたまた新選組もいる。

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新政府が掲げる錦旗に抗えない慶喜は、
「江戸無血開城」を幕臣勝海舟にゆだね、
上野で謹慎した。

一方の官軍は、旧幕府の残党を壊滅せねば、
新体制を揺るぎなきものに出来ないと考える。
そこには当然のように「江戸城総攻撃」が念頭にあった。

そこで勝海舟の秘策が動いた。
江戸に集まっている戦力を散らすことであった。

新選組の近藤勇には、甲府城へと動かしめた。
幕府海軍には函館へ向かわせた。

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しかし幕府陸軍だけは江戸城明け渡し直前に
籠城戦を行うという計画があるらしい。

しかし、その幕府陸軍も消えた...

・・・・ともかく、あれだけの旧幕府陸軍が、
    一夜で江戸から消滅するのである。
    この一事から考えても、その消えっぷりは
    みごとというほかない。・・・・


花神 (下巻) (新潮文庫) /司馬遼太郎/より抜粋

江戸城での戦火は避けられたが、
血を求めて舞台は奥州へと向かう。

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江戸城 〜唯一の勇士〜

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彦根の赤鬼と言われる井伊直弼を討つために、
薩摩藩士有村治左衛門は江戸へ来た。

秘密裏に進められていた水戸藩、薩摩藩の
井伊斬奸計画だったが、日を追うごとに
薩摩藩士が次々と脱けていき、
治左衛門ひとりが唯一の薩摩藩士となった。

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治左衛門はまだ二十歳そこそこの若者で、
普段はぼんやりしているところもあるが剣の腕は立つ。
さらに詩を書かせると激越な詩をつくる。

そんな治左衛門がこう言った。

・・・・「自分ひとりが参加するだけでも、
     水薩義盟に対する薩人の誠意が後生に
     疑われずに済む」

     (中略)

    「私は井伊の行列にまっさきに斬り込み、
     島津家四百年の武勇を代表したい」・・・・


幕末 (文春文庫) 桜田門外の変/司馬遼太郎/文春文庫 より抜粋

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水戸の同志達は、治左衛門の志に打たれ、
また、後の倒幕運動のためにも
薩摩藩に花を持たせるということで一同賛同した。

みな治左衛門に好意的であった。

そして三月三日雪の朝、治左衛門一統は桜田門外で悲願を果たした。
目撃者によると、直弼を討った者が薩音で高らかに叫んだと言われている。

しかし、重傷を追った治左衛門は和田倉門付近まで歩き、そして力尽きた。

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江戸城 〜築城名人の協力〜

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江戸城は当時最大規模を誇った。
徳川幕府を盤石にする布石として、
家康に臣従した大名達に江戸城の
増改築を手伝わせた。

財政の疲弊していた諸大名達は、
数回に渡る命令にうんざりしていた。

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そんな中、肥後の太守加藤清正だけは、
黙々と城の普請に精を出す。

加藤清正は言わずと知れた築城の名人だ。
当時の江戸城周辺は、
江戸湾を埋め立てさせた土地のため
湿地帯になっていて、普請も一苦労であった。

清正は、重臣の森本儀太夫に普請奉行を命じた。
儀太夫は、近くから萱や枯れすすきを集めさせ、
石垣を築く地点にある沼に投げ込ませた。
そして、近所の子供達に思う存分その上で遊ばせた。

そして、踏み固められた萱の上にようやく石垣を築き始めたが、
他の諸大名達はすで石垣も完成している。

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ある夜、暴風雨が普請現場を直撃し、
他の石垣が崩れ落ちる中、加藤家の築いた石垣だけは
びくともしなかったという。

・・・・「沼地をかためるのに、急ぎあわてて何になろうか」
    加藤清正は、故太閤秀吉の下で、いくつもの名城の
    建築にたずさわっている。
    日本一の ”土木建築の大家” とよんでさしつかえない・・・・


火の国の城 上 新装版 文春文庫 い 4-78
池波正太郎/ より抜粋

江戸城が現在も昔の雄姿を残しているわけが分かる気がする。

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江戸城 〜開拓者の入城〜

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豊臣秀吉の小田原城攻めが終わる頃、
秀吉家康を連れ小便に誘い、
北条氏を滅ぼした後、
家康に関八州を与えると言ったという。

この言葉の裏の意味が怖いほど分かる家康にとっては、
苦渋の決断であった。

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三河以来の家臣達は猛反発をしたが、
すでに、反抗を実現できる状況ではなかった。
家康秀吉に臣従したばかりであったのだ。

・・・・「居所ハ、江戸城然ルベシ」
    (中略)
    江戸しかるべしと秀吉が言ったのは、
    かれの貿易立国の思想から出ている。・・・・


街道をゆく〈36〉本所深川散歩・神田界隈 (朝日文芸文庫)
/司馬遼太郎/ より抜粋

この言葉で、秀吉に顔色の変化を
読みとられないようにしていた家康の脳裏に、
未来の繁栄都市の姿が一気に沸き上がった。

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こうして不平を言う家臣を引き連れ、
粗末な江戸城に入った。

後に人口100万人を養う城下町は
ここから始まるのであった。

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江戸城 〜才能あるがゆえ〜

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・・・・道灌の名声の何割かは、
    かれが設計した斬新な構造をもつ
    江戸城が負っている。・・・・

箱根の坂〈中〉 (講談社文庫)/司馬遼太郎/より抜粋

北条早雲は太田道灌を尊敬していた。

山内上杉家、扇谷上杉家の両管領家の争いの中で、
太田道灌の名は際立って高かった。

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歌人、武人、築城の名手として、
関東随一の者だった。

京の将軍、足利義政との謁見でも
その才能を発揮した。

その将軍が、北関東からの脅威のため
江戸に築城を命じたとも言う。

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とにかく、江戸城を築城した道灌は、
主君、扇谷上杉定正のために、
惜しみなく働き続けた。

その才能がゆえに、扇谷上杉家は
太田道灌で保っているという評判が立ち始め、
やがて疑心暗鬼になった主君に殺される。

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いつの時代でも、多くの人々に
期待される人物は志半ばでこの世を去る。