蒲生氏郷が黒川城(後の会津若松城)を拠点としていた時期、
二本松城はその支城であった。
しかし、現在の感覚では、「ずいぶんと立派な支城だった」と感じる。
会津120万石級のスケールの大きさを感じる。

そのはるか後、戊辰戦争の後半というべき時期に、
会津白虎隊の悲劇に先立って
二本松少年隊の悲劇もあったが、
全国的には資料が少ない。
・・・・・歴史は常に勝者によって創られる。
敗者の真実の姿は記録にとどめられることは少ない。・・・・
会津士魂〈9〉二本松少年隊 (集英社文庫)
より抜粋

その二本松少年隊の背景を探ってみた。
にわかに新政府を認められず、
または徳川氏に恩義を想う諸藩が
奥羽列藩同盟を結んだが、
戦況によって次々と脱藩していった中、
二本松藩は違った。
・・・・・二本松丹羽氏は外様である。
倒幕急進派の西軍首脳の目から見れば、
ほどほどのところで降伏するはずだったのだ。
たとえ外様でも、
二本松藩には士魂が生きていた。
奥羽列藩同盟に加わったことを悔やむ藩もある。
西軍の進撃を見て節を変えた藩もあったし、
分裂したところもある。
だが丹羽一門はそうではなかった。
当初から会津と運命を倶にする決意を変えなかった。・・・・
会津士魂〈9〉二本松少年隊 (集英社文庫)
より抜粋

そんな家風の中から生まれた
二本松藩の悲劇だが、
後世にも丹羽氏の士魂たるものが、
今の二本松の町の人々の中に生きている気がした。

関白
秀吉の奥州征討も終わり、
相次いで国替えが行われた。
歓ぶ者、歓べない者が各地でそれぞれ
次の手を考える。

ここ奥州でも、あわよくば天下を掴もうと
野望を持つ武将が二人、それぞれ手ぐすねを引いていた。
一人は
蒲生氏郷。知勇兼備の実力派。
故織田信長にもその武勇を賞賛され、娘婿となり、
織田家の正統な後継者の資格を持つも、
秀吉に出し抜かれた経緯がある。
もう一人は一時期、奥州王でならんとした伊達政宗。
多くを言うまでもないであろう。
秀吉が治めたばかりの奥州で一揆が発生した。
上の二人の対戦はこの時に起きた。
ともに
秀吉傘下で共同戦線をはるはずが、
移封してきたばかりで地理に暗い氏郷に対し、
政宗は不気味な圧力と威嚇を行う。
これを見守る奥州の拠点は
二本松城であった。
軍艦である浅野長政は一触即発の二人にひやひやする。
噂では一揆を煽動しているのは伊達政宗であるという
ことも気が気ではない。
そんな政宗が黄金の磔柱をかつぎ
秀吉に釈明する有名な場面がこのあとのこと。
・・・・まず米沢を出発すると岩代の杉ノ目から
二本松へ出て、ここで浅野長政と会見し、
悠々と領民たちに、この晴姿(?)を
誇示しながら旅をするのだから時間がかかる。
「なに、あの小僧めが黄金の磔柱を!?」
秀吉は唖然とした ・・・・・・・・・・・・・・
伊達政宗 (2) (講談社漫画文庫)
より抜粋この釈明の結果は、皆さんの周知の通りなので割愛する...