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ヒデムラ

妻が運営している「ご当地ですよ!」というサイトの中に、百名城のコメントを書いてくれと頼まれたことがきっかけで、ブログを始めました。
元々好きだった日本各地の城を実際に一つずつ訪ねる旅は、時間がかかることですが、思わぬ楽しみとなっています。

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二本松城 ~少年隊への伝統~

蒲生氏郷が黒川城(後の会津若松城)を拠点としていた時期、
二本松城はその支城であった。
しかし、現在の感覚では、「ずいぶんと立派な支城だった」と感じる。
会津120万石級のスケールの大きさを感じる。

二本松11


そのはるか後、戊辰戦争の後半というべき時期に、
会津白虎隊の悲劇に先立って
二本松少年隊の悲劇もあったが、
全国的には資料が少ない。

・・・・・歴史は常に勝者によって創られる。
     敗者の真実の姿は記録にとどめられることは少ない。・・・・
     
会津士魂〈9〉二本松少年隊 (集英社文庫) より抜粋

二本松09

その二本松少年隊の背景を探ってみた。

にわかに新政府を認められず、
または徳川氏に恩義を想う諸藩が
奥羽列藩同盟を結んだが、
戦況によって次々と脱藩していった中、
二本松藩は違った。

・・・・・二本松丹羽氏は外様である。
     倒幕急進派の西軍首脳の目から見れば、
     ほどほどのところで降伏するはずだったのだ。

     たとえ外様でも、二本松藩には士魂が生きていた。
     奥羽列藩同盟に加わったことを悔やむ藩もある。
     西軍の進撃を見て節を変えた藩もあったし、
     分裂したところもある。

     だが丹羽一門はそうではなかった。
     当初から会津と運命を倶にする決意を変えなかった。・・・・

会津士魂〈9〉二本松少年隊 (集英社文庫) より抜粋

二本松10

そんな家風の中から生まれた二本松藩の悲劇だが、
後世にも丹羽氏の士魂たるものが、
今の二本松の町の人々の中に生きている気がした。

二本松12



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二本松城 ~駆け引きを見守る城~

二本松05

関白秀吉の奥州征討も終わり、
相次いで国替えが行われた。

歓ぶ者、歓べない者が各地でそれぞれ
次の手を考える。
二本松06

ここ奥州でも、あわよくば天下を掴もうと
野望を持つ武将が二人、それぞれ手ぐすねを引いていた。

一人は蒲生氏郷。知勇兼備の実力派。
故織田信長にもその武勇を賞賛され、娘婿となり、
織田家の正統な後継者の資格を持つも、
秀吉に出し抜かれた経緯がある。

もう一人は一時期、奥州王でならんとした伊達政宗。
多くを言うまでもないであろう。
二本松07

秀吉が治めたばかりの奥州で一揆が発生した。
上の二人の対戦はこの時に起きた。

ともに秀吉傘下で共同戦線をはるはずが、
移封してきたばかりで地理に暗い氏郷に対し、
政宗は不気味な圧力と威嚇を行う。

これを見守る奥州の拠点は二本松城であった。
軍艦である浅野長政は一触即発の二人にひやひやする。
噂では一揆を煽動しているのは伊達政宗であるという
ことも気が気ではない。

そんな政宗が黄金の磔柱をかつぎ
秀吉に釈明する有名な場面がこのあとのこと。

・・・・まず米沢を出発すると岩代の杉ノ目から
    二本松へ出て、ここで浅野長政と会見し、
    悠々と領民たちに、この晴姿(?)を
    誇示しながら旅をするのだから時間がかかる。
    「なに、あの小僧めが黄金の磔柱を!?」
    秀吉は唖然とした ・・・・・・・・・・・・・・

伊達政宗 (2) (講談社漫画文庫) より抜粋


この釈明の結果は、皆さんの周知の通りなので割愛する...

二本松08




二本松城 ~双方の義戦~

二本松01


戦国時代の古地図で見ると二本松は奥羽地方でも
ほぼ中央にあり、要衝であることがうかがえる。

しかし、伊達政宗率いる伊達勢と、
畠山義継の遺児、国王丸を擁する
畠山、近隣七街道連合が戦った人取り橋の合戦は、
様相が違っていた。

二本松02

二本松城主、畠山義継は伊達輝宗をあざむき、
人質として拉致しようとしたところを
伊達の救援隊によって討たれた。
もちろん輝宗も死んだ。

政宗、隠居の実父を殺され、
怒りに震え、二本松城を攻め落とそうと計画。

かたや、義継の遺児、十二歳の国王丸も
父の首をさらされた怨みをぶつけた。

二本松03


・・・・おそらく畠山国王丸は父が梟首されたように、
    政宗の首級を奪って二本松の城下へ梟ける夢を
    描いて張り切っているいるのに違いない・・・・


伊達政宗 (1) (講談社漫画文庫) より抜粋
    
そうして起きた人取り橋の合戦では、
双方の憤怒がぶつかり合い、大激戦となった。

勝敗は、かろうじて伊達勢が勝利を収めたが、
後世に伝わる話では、政宗の師である虎哉禅師が
政宗の無駄な戦を諌めたことが有名となった。
二本松04




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