・・・・駿府では、美少年が多い。
町を、華麗な小袖をきた美童があるいてゆく。
理由がある。
今川義元の好みであった。
この京都文化の心酔者は、京都におけるあらゆる
知的文化を駿府に導入することに熱中し、
ついには京に淫するあまり、
こういう嗜好までひき入れてしまった。・・・・
この物語では「猿」と呼ばれていたころの
豊臣秀吉の、
出世の糸口をつかむ前の時期の
駿府周辺のことにについて
書かれている。
・・・・屋敷などはどことなく古雅で、
とくに今川殿の居館にいたっては、
(都の内裏もこうか)
と想われるほどの雅致に富んでいる。・・・・新史太閤記 (上巻) (新潮文庫)
より抜粋
小京都と呼ばれていたころの駿河の国府の情景である。


応仁の乱以後の戦国時代初期、
今川家が治める駿河の国の国府は
駿府と呼ばれていた。
駿河守護、今川義忠の死により、
穏やかな駿河に関東の上杉定正の魔の手が伸びる。

今川の正嫡は氏親であるが、
幼主のため、駿府館を上杉定正の親類である
今川範満が守護然としている。
北条早雲は、亡き義忠への忠義を貫き、
嫡子氏親のために駿府館を奪い取る計画をした。
その気配を察し、駿府館防御体制をとった。
・・・・駿府館が、三ヶ所にあらたに櫓をあげる計画をし、
諸方に普請の手伝いを命じたのである。
「なぜ、いまさら櫓など」
と、ひとびとは不審がった。
駿府館はのちの世の城ほどではないが、
その防禦の固さは東海一といわれて、
いまさら堅固にすることはなかった。・・・・
北条早雲の働きもあり、やがて今川範満は討たれ、
今川氏の正嫡である氏親が駿府に入った。
勲功第一の早雲が逆に駿府を簒奪することも可能だったろうが、
穏やかなこの駿河の国では気が引けたのかもしれない。