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ヒデムラ

妻が運営している「ご当地ですよ!」というサイトの中に、百名城のコメントを書いてくれと頼まれたことがきっかけで、ブログを始めました。
元々好きだった日本各地の城を実際に一つずつ訪ねる旅は、時間がかかることですが、思わぬ楽しみとなっています。

ヒデムラの百名城
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伏見城 ~因縁の城~

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豊臣秀吉の運にもかげりが見え始めた時期に
この伏見城が建てられた。

信頼していた弟秀長の死去、
千利休への切腹申し付け、
鶴松の死去、朝鮮出兵、
母大政所の死去、
そして朝鮮撤兵。

その朝鮮使節の度肝を抜き、
豊臣政権の壮大さを誇示するがため、
伏見城が築かれた。
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しかし秀吉の災難は続く。
関白秀次への切腹申し付け。
そして、伏見の大地震により、
黄金の天守を持つ自慢の伏見城は
倒壊した。
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・・・・ない!あの不気味な赤さの月の空から、
    黄金の天守閣が消えてしまっている....・・・・

豊臣秀吉〈8〉 (山岡荘八歴史文庫)より抜粋


秀吉の、自ら運命を好転させようと願った
黄金の城は、皮肉にも瓦礫と変わってしまった。
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駿府城 ~華やかな城下~

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・・・・駿府では、美少年が多い。
    町を、華麗な小袖をきた美童があるいてゆく。
    理由がある。
    今川義元の好みであった。
    この京都文化の心酔者は、京都におけるあらゆる
    知的文化を駿府に導入することに熱中し、
    ついには京に淫するあまり、
    こういう嗜好までひき入れてしまった。・・・・


sunpu_6.jpg


この物語では「猿」と呼ばれていたころの豊臣秀吉の、
出世の糸口をつかむ前の時期の駿府周辺のことにについて
書かれている。

・・・・屋敷などはどことなく古雅で、
    とくに今川殿の居館にいたっては、
    (都の内裏もこうか)
    と想われるほどの雅致に富んでいる。・・・・


新史太閤記 (上巻) (新潮文庫) より抜粋

小京都と呼ばれていたころの駿河の国府の情景である。

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石垣山城 ~もうひとつの駆け引き~

小田原城を取り囲む豊臣秀吉軍の石垣山城で
もうひとつの駆け引きの幕が降りようとしていた。
ishigaki_4.jpg

秀吉が九州を鎮圧していたころ、
奥羽の諸将たちは、様々な動きをしていた。
中でも伊達政宗は、あわよくば奥州王として
天下を望んでいた。

しかし、登場が遅すぎた。

しぶしぶ石垣山秀吉のもとへ出向いた政宗。

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・・・・秀吉は普請場にあらわれた政宗をみるや、
    にこにこと笑いかけながら、手招きをした。
    
    中略

    「いますこし、参着が遅れたなら、
     ここがあぶなかったぞよ」
   
     いいつつ、杖の先を政宗の頸へ差し当てたものだ。・・・・

池波正太郎/真田太平記(三)/新潮文庫>より抜粋

さすがの伊達政宗秀吉にかかっては子供扱いであった。
役者としては、秀吉のほうが一枚上であった。
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石垣山城 ~突然現れた絶望~

・・・・豊臣秀吉は、山中城を攻め落としたのち、
    箱根・湯本の早雲寺へ、仮の本陣を置いた。
    「急くな」と秀吉は    「ゆるりと攻むるがよい」
    悠々たるものであったが、そのうちに、
    「城を築くとしよう」といい出した。・・・・


真田太平記〈3〉上田攻め (新潮文庫)より抜粋

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関白秀吉の余裕の小田原攻めである。
天下の堅城小田原城を攻めるにあたって秀吉の取った戦法。

籠もる北条勢は、予想もしなかった状況に戸惑いを隠せない。

・・・・小田原城の西方四キロメートル弱のところにある
    山の上へ、あらかじめ木組みをし、板を張りつけ、
    これに白紙を張りめぐらし、
    城の櫓か天守台のようなかたちに造りあげ、
    このまわりを囲んでいた松林を、
    一夜のうちに切りはらったのだ。

    「あっ....」
    山の下の小田原城に立てこもる北条軍は、 
    驚愕の叫びを発した。・・・・


真田太平記〈3〉上田攻め (新潮文庫)より抜粋

堅城に頼った北条勢に、突如として絶望へのイメージが現れた。    
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小田原城 ~戻せない決断~

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後世の人々は、「あの時こうしていれば...」
と、思うことは多い。

「歴史に if は禁物」とはよく言ったものだ。
歴史ではなくても我々の身の回りでもそうだが...
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関白秀吉の小田原攻め。
俗に言う「小田原評定」。
油断していると現代でも言われがちだ。

・・・・「箱根の天険を利して、敵を迎え撃つがよろしい」
    一歩もゆずらぬ。
    箱根の山々は、小田原城を囲んで屏風のように、
    そびえ立っている。
    むろん、そこには北条方の城や砦があって、
    豊臣秀吉も、
    「まず、難関は箱根の山よ」
    こういっていたほどだ。・・・・・


真田太平記〈3〉上田攻め (新潮文庫)より抜粋

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大軍の敵に何重にも囲まれた時点で時すでに遅しの感があったが、
小田原城内では、主戦派、籠城派で何日も議論が繰り返された。

結果は周知の通り、
しかし、過去の決断をとやかく言うことは愚の骨頂であろう。

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