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ヒデムラ

妻が運営している「ご当地ですよ!」というサイトの中に、百名城のコメントを書いてくれと頼まれたことがきっかけで、ブログを始めました。
元々好きだった日本各地の城を実際に一つずつ訪ねる旅は、時間がかかることですが、思わぬ楽しみとなっています。

ヒデムラの百名城
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石垣山城 ~突然現れた絶望~

・・・・豊臣秀吉は、山中城を攻め落としたのち、
    箱根・湯本の早雲寺へ、仮の本陣を置いた。
    「急くな」と秀吉は    「ゆるりと攻むるがよい」
    悠々たるものであったが、そのうちに、
    「城を築くとしよう」といい出した。・・・・


真田太平記〈3〉上田攻め (新潮文庫)より抜粋

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関白秀吉の余裕の小田原攻めである。
天下の堅城小田原城を攻めるにあたって秀吉の取った戦法。

籠もる北条勢は、予想もしなかった状況に戸惑いを隠せない。

・・・・小田原城の西方四キロメートル弱のところにある
    山の上へ、あらかじめ木組みをし、板を張りつけ、
    これに白紙を張りめぐらし、
    城の櫓か天守台のようなかたちに造りあげ、
    このまわりを囲んでいた松林を、
    一夜のうちに切りはらったのだ。

    「あっ....」
    山の下の小田原城に立てこもる北条軍は、 
    驚愕の叫びを発した。・・・・


真田太平記〈3〉上田攻め (新潮文庫)より抜粋

堅城に頼った北条勢に、突如として絶望へのイメージが現れた。    
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小田原城 ~戻せない決断~

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後世の人々は、「あの時こうしていれば...」
と、思うことは多い。

「歴史に if は禁物」とはよく言ったものだ。
歴史ではなくても我々の身の回りでもそうだが...
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関白秀吉の小田原攻め。
俗に言う「小田原評定」。
油断していると現代でも言われがちだ。

・・・・「箱根の天険を利して、敵を迎え撃つがよろしい」
    一歩もゆずらぬ。
    箱根の山々は、小田原城を囲んで屏風のように、
    そびえ立っている。
    むろん、そこには北条方の城や砦があって、
    豊臣秀吉も、
    「まず、難関は箱根の山よ」
    こういっていたほどだ。・・・・・


真田太平記〈3〉上田攻め (新潮文庫)より抜粋

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大軍の敵に何重にも囲まれた時点で時すでに遅しの感があったが、
小田原城内では、主戦派、籠城派で何日も議論が繰り返された。

結果は周知の通り、
しかし、過去の決断をとやかく言うことは愚の骨頂であろう。

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小田原城 ~走り続けた跡に~

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北条早雲八十一歳。
彼が走り続けた跡に残ったものは何か。
小田原城を得た後はひたすら領国経営に努めた。

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・・・たとえば、晩年、馬泥棒を警吏がつかまえた。
   法を確立するために、早雲一代においては
   そういう者までかれ自身が裁いた。
   馬泥棒はみずからの非をみとめたが、しかし、
   「わしが盗んだるはたかが馬じゃ。
   国をお盗み遊ばした方があれにおわす」
   と、早雲を指さしたとき、かれはあかるく笑い、
   いかにもそうだ、といってその盗人を
   放してやったという。・・・・


箱根の坂〈下〉 (講談社文庫)より抜粋

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戦国時代に幕を切って落とした張本人は、
その生涯を終えるとき、何を想っていたのであろう。

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小田原城 ~箱根越え~

下克上の先駆者。
国盗りの大悪党。
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様々な代名詞を欲しいがままにした
伊勢新九郎こと後の北条早雲。

しかし、京から出て、己の才覚だけで
駿河、伊豆と勢力を伸ばし、
小田原を手中に治められた背景には、
領民に寛大で、家中の者を大事にしたという事実も認められる。

・・・・(小田原を討とう)と、決心した。
    敵は、甲斐の武田ではなく、相模小田原の
    大森氏であるという肚が、富士の稜線よりも
    くっきりと出来上がった。

    早雲の胸に、悪謀が湧いている。
    悪謀は山河湖沼の形をしていた。
    この甲州境いの籠坂峠にあって、
    軍勢の顔を甲州に向けながら、
    そのじつ東方の足柄・箱根の山塊をおもい、
    さらにはその重畳とした山々を越えて
    小田原を攻めおとそうというのである。・・・・


箱根の坂〈下〉 (講談社文庫)より抜粋

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簡単に小田原を落とした早雲だったが、
小田原を攻めるにあたり、苦悩が続く。
「後世の大悪人になるのではないか...」

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小悪人ではなく、後に英雄と言われる者の苦悩であろう。
    
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