幕末の英雄、高杉晋作が長州でのクーデター後、
次の戦略に悩んだ時期の唄である。
今の萩は、古い武家屋敷や土塀などが残り、人気観光地であるが、
幕末には、砲火にさらされる危機があった。
決して幕府軍の脅威ではなく、
同じ長州人の高杉晋作の戦略であった。
・・・軍艦がお城の海の近くまで押し入ってきて、
それがね、どろどろと一日じゅう、
大砲を撃ちやめないのです。
撃つたびに、萩の南の山や東の山にひびいて
わんわんこだまして。・・・・
世に棲む日日 (4)より抜粋
上の下りは、晋作の妻であるお雅が明治以降、
人に語った萩のさわぎだそうである。
晋作としても、生まれ育った萩を
戦火に包み込むまでは考えていなかったであろう。
ちなみに世に棲む日日 (4)には晋作の師匠である、
吉田松陰についても書かれていて、
萩の静寂さと、維新の原動力となった人々の葛藤を知ることができる。