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ヒデムラ

妻が運営している「ご当地ですよ!」というサイトの中に、百名城のコメントを書いてくれと頼まれたことがきっかけで、ブログを始めました。
元々好きだった日本各地の城を実際に一つずつ訪ねる旅は、時間がかかることですが、思わぬ楽しみとなっています。

ヒデムラの百名城
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川越城 ~原野の巨城~

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北条早雲がまだ伊豆一国の主であったころ、
関東の原野では、二つの関東管領を名乗る勢力が
しのぎを削っていた。

上州の山内上杉氏と武蔵の扇谷上杉である。

・・・・ 古来、都びとが作歌の上でおどろいてきたように、
     ここは一国おしなべて野であり、月が草から出る。
     早雲も感動をあらたにし、・・・・


箱根の坂〈下〉 (講談社文庫) /司馬遼太郎 より抜粋

と、言われる坂東の原野で、互いの勢力をぶつけるわけでもなく
謀略に謀略を重ねる抗争が続いていた。

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そんな関東原野に威勢を誇っていたのが、川越城であった。
関東ではぬきんでて大きな規模であった。

その川越城には扇谷上杉がこもっており、
北への領土拡張を狙っている。

そこへ、北条早雲が援軍として川越城へ入城した。
早雲は想った。この原野での戦術を身に付けねば...

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後の北条による関東制覇の偉業はこのときから
始まっていたのかもしれない。
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駿府城 ~穏やかなる国の乱~

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応仁の乱以後の戦国時代初期、
今川家が治める駿河の国の国府は
駿府と呼ばれていた。

駿河守護、今川義忠の死により、
穏やかな駿河に関東の上杉定正の魔の手が伸びる。
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今川の正嫡は氏親であるが、
幼主のため、駿府館を上杉定正の親類である
今川範満が守護然としている。

北条早雲は、亡き義忠への忠義を貫き、
嫡子氏親のために駿府館を奪い取る計画をした。

その気配を察し、駿府館防御体制をとった。

・・・・駿府館が、三ヶ所にあらたに櫓をあげる計画をし、
    諸方に普請の手伝いを命じたのである。
    「なぜ、いまさら櫓など」
    と、ひとびとは不審がった。
    駿府館はのちの世の城ほどではないが、
    その防禦の固さは東海一といわれて、
    いまさら堅固にすることはなかった。・・・・




sunpu_3.jpg

北条早雲の働きもあり、やがて今川範満は討たれ、
今川氏の正嫡である氏親が駿府に入った。

勲功第一の早雲が逆に駿府を簒奪することも可能だったろうが、
穏やかなこの駿河の国では気が引けたのかもしれない。
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小田原城 ~走り続けた跡に~

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北条早雲八十一歳。
彼が走り続けた跡に残ったものは何か。
小田原城を得た後はひたすら領国経営に努めた。

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・・・たとえば、晩年、馬泥棒を警吏がつかまえた。
   法を確立するために、早雲一代においては
   そういう者までかれ自身が裁いた。
   馬泥棒はみずからの非をみとめたが、しかし、
   「わしが盗んだるはたかが馬じゃ。
   国をお盗み遊ばした方があれにおわす」
   と、早雲を指さしたとき、かれはあかるく笑い、
   いかにもそうだ、といってその盗人を
   放してやったという。・・・・


箱根の坂〈下〉 (講談社文庫)より抜粋

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戦国時代に幕を切って落とした張本人は、
その生涯を終えるとき、何を想っていたのであろう。

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小田原城 ~箱根越え~

下克上の先駆者。
国盗りの大悪党。
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様々な代名詞を欲しいがままにした
伊勢新九郎こと後の北条早雲。

しかし、京から出て、己の才覚だけで
駿河、伊豆と勢力を伸ばし、
小田原を手中に治められた背景には、
領民に寛大で、家中の者を大事にしたという事実も認められる。

・・・・(小田原を討とう)と、決心した。
    敵は、甲斐の武田ではなく、相模小田原の
    大森氏であるという肚が、富士の稜線よりも
    くっきりと出来上がった。

    早雲の胸に、悪謀が湧いている。
    悪謀は山河湖沼の形をしていた。
    この甲州境いの籠坂峠にあって、
    軍勢の顔を甲州に向けながら、
    そのじつ東方の足柄・箱根の山塊をおもい、
    さらにはその重畳とした山々を越えて
    小田原を攻めおとそうというのである。・・・・


箱根の坂〈下〉 (講談社文庫)より抜粋

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簡単に小田原を落とした早雲だったが、
小田原を攻めるにあたり、苦悩が続く。
「後世の大悪人になるのではないか...」

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小悪人ではなく、後に英雄と言われる者の苦悩であろう。
    
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