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妻が運営している「ご当地ですよ!」というサイトの中に、百名城のコメントを書いてくれと頼まれたことがきっかけで、ブログを始めました。
元々好きだった日本各地の城を実際に一つずつ訪ねる旅は、時間がかかることですが、思わぬ楽しみとなっています。

ヒデムラの百名城
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江戸城 〜築城名人の協力〜

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江戸城は当時最大規模を誇った。
徳川幕府を盤石にする布石として、
家康に臣従した大名達に江戸城の
増改築を手伝わせた。

財政の疲弊していた諸大名達は、
数回に渡る命令にうんざりしていた。

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そんな中、肥後の太守加藤清正だけは、
黙々と城の普請に精を出す。

加藤清正は言わずと知れた築城の名人だ。
当時の江戸城周辺は、
江戸湾を埋め立てさせた土地のため
湿地帯になっていて、普請も一苦労であった。

清正は、重臣の森本儀太夫に普請奉行を命じた。
儀太夫は、近くから萱や枯れすすきを集めさせ、
石垣を築く地点にある沼に投げ込ませた。
そして、近所の子供達に思う存分その上で遊ばせた。

そして、踏み固められた萱の上にようやく石垣を築き始めたが、
他の諸大名達はすで石垣も完成している。

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ある夜、暴風雨が普請現場を直撃し、
他の石垣が崩れ落ちる中、加藤家の築いた石垣だけは
びくともしなかったという。

・・・・「沼地をかためるのに、急ぎあわてて何になろうか」
    加藤清正は、故太閤秀吉の下で、いくつもの名城の
    建築にたずさわっている。
    日本一の ”土木建築の大家” とよんでさしつかえない・・・・


火の国の城 上 新装版 文春文庫 い 4-78
池波正太郎/ より抜粋

江戸城が現在も昔の雄姿を残しているわけが分かる気がする。

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江戸城 〜開拓者の入城〜

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豊臣秀吉の小田原城攻めが終わる頃、
秀吉家康を連れ小便に誘い、
北条氏を滅ぼした後、
家康に関八州を与えると言ったという。

この言葉の裏の意味が怖いほど分かる家康にとっては、
苦渋の決断であった。

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三河以来の家臣達は猛反発をしたが、
すでに、反抗を実現できる状況ではなかった。
家康秀吉に臣従したばかりであったのだ。

・・・・「居所ハ、江戸城然ルベシ」
    (中略)
    江戸しかるべしと秀吉が言ったのは、
    かれの貿易立国の思想から出ている。・・・・


街道をゆく〈36〉本所深川散歩・神田界隈 (朝日文芸文庫)
/司馬遼太郎/ より抜粋

この言葉で、秀吉に顔色の変化を
読みとられないようにしていた家康の脳裏に、
未来の繁栄都市の姿が一気に沸き上がった。

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こうして不平を言う家臣を引き連れ、
粗末な江戸城に入った。

後に人口100万人を養う城下町は
ここから始まるのであった。

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